びっくりだ!新潟地震

姪の誕生日だったので外食に行く為、うちに集合。
兄ちゃんと2Fでデジカメ写真をTVプレビュー・印刷枚数の確認をしていたら、襲ってきた。そこそこ大きい揺れの後に、大きな横揺れ、兄ちゃんと二人で目の前のTVラックを足を踏ん張りながら無我夢中で押さえた。「浅間が噴火したか?」なんて話しながら揺れが収まった後、ラジオをつけて写真の整理を進める。ラジオでも地震の事を言ってたんだけど、しばらくしたらNHKは「♪ピンポンパン〜ピンポンパン・・・」の音の後にTV・ラジオ同時放送に切り替わる。普通の地震速報ではこの音は出ないので、めちゃくちゃ危機的なのかと感じTVに切り替える。「甲信越地方で強い揺れを・・・」のテロップ。今まで経験したことの無い揺れ(周期も短かった)だったけれど、直感的には4ぐらいかなとも思った。震源は関東なのかと思ったけれど、新潟中越が震源で小千谷市付近が震度6強。群馬南部は5弱を表示。
 怖い怖い言いながら写真の焼き増し枚数を確認していたら、余震。最初の地震ほどじゃなかったけれど大きく揺れた。ほんと怖い。寝てる最中だったらTVラックが倒れる勢いだったし、きっと上のスピーカが顔面直撃してたとおもう。
 6時過ぎに家を出て、近くのレストランに到着。何か起こるとまずいから、玄関の区画以外のブレーカを落として出てきた。
ココのレストランは前回、俺だけお茶じゃなくお水が出てきた所。今回はちゃんとお茶でてきた☆親父はまるでSPの様にイヤホンを通じてラジオを聴きながら、談話。両親も「今までで一番大きな地震だった」って言ってた。「ラジオで電車が脱線したって言ってる」って言うので、貸してもらって聞いていたら「現在余震を感じています」って言ってる。同時に家族も地震に気がつき、横に飾ってあった不安定な壺が倒れてこないように支える。店内は「おぉ〜」ってみんな言ってた。危ない壺を空いてた席に置いたらすぐにお客さん来ちゃって「なんでこんなとこに壺があるの?」ってすんごく困惑してた。事情を説明して、みんな納得。店内見回してみたら店の中にいっぱい壺が飾ってあった。みんなテンション高くなっちゃってるので、関係ない人たちとも地震の話題で盛り上がる。隣の人に指摘されて見てみたら母親の斜め後ろに巨大な壺(全長1メートル)が…
 群馬って地震強いと思ってたから、まったく耐震対策してない。これはどこでも一緒みたい。最初の余震の後から震えちゃって、食べ物が喉を通らない…すごくストレス感じてたのかも。家族の中で俺だけだったみたいで、姪っ子たちはむしろ楽しんでる感じだし。
震源近くの人たちは、きっとこんなもんじゃないんだろうな。伊勢崎の震度は3だったけど、このレベルでPTSDもどきになりかけるんだから、きっと被災地は…
 携帯は地震後1時間ぐらいはパケット網は規制掛からなかったみたいだけど、7時ごろから輻輳しちゃったみたいで携帯通話・パケット共に規制掛かった。
 家に帰って犬の散歩に出たら、飛行機が旋回してた。自衛隊と海保が哨戒機を飛ばしたらしい。普段夜はあまり見かけないヘリも12時過ぎても飛んでるので、東京→新潟に向けて調査派遣かな。
 小さな余震は時間を増す毎に群馬じゃ感じなくなったけれど、これほど短い間に地震を感じたのは初めて。震源近くでは依然と震度3程度の余震が何度も起きてる様だ。
長岡手前で脱線した新幹線は、どうやら震源近くを走っていたようだ。人間の感じない初期微動(P波)を感じてJRの地震検地システムが送電を停止しても、震源近くだったから止まる前に主要動を受けてしまって脱線したらしい。
 時間がたつにつれてTVを通じて亡くなった方・怪我をした方の人数も増え、続々と情報が上がってくる。今年の夏、新潟豪雨で水害を受けた地域とも重なる。
 今年は水害・噴火・巨大台風が来て天変地異の多い年だ。
文末ですが、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。また怪我をされた方々のお見舞いと、被害地域の復旧がいち早く進む様お祈り申し上げます。


***追加・訂正(10/26AM2:00)***
群馬上空の偵察は航空自衛隊の飛行機だったらしい
—陸自http://www.jda.go.jp/j/news/2004/10/23a.htm—
1915  空自U-125(百里)×1機離陸
(群馬県高崎市、伊勢崎市上空異常なし)
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U-125っていう救難用の飛行機らしい。動きが機敏だったから普通の飛行機じゃないことは感づいてたんだけど・・・